1941年生まれ、同志社大学を卒業して任天堂に入社した横井は「ウルトラハンド」「ウルトラマシン」「光線銃SP」といった玩具を開発。それらは一躍大ヒットとなります。
さらに電卓から発想した初の携帯型のゲーム機「ゲーム&ウオッチ」は任天堂が本格的にビデオゲームに注力するきっかけとなりました。その後も1億台以上が売れた普及の名作「ゲームボーイ」や、時代を先取りしすぎた(今日ようやく3Dブームに)と言われた「バーチャルボーイ」などを指揮しました。ゲームソフトでも宮本茂の大先輩として指導に当たったと伝えられています。
任天堂を退社後は玩具の開発を行う、コトを設立。バンダイの「ワンダースワン」の開発などに携わりますが、自動車事故に巻き込まれ56歳という若さでこの世を去ります。
任天堂の初期を支え、そしてビデオゲーム産業の初期に多大な貢献をした横井軍平氏ですが、その業績を伝える文献は多くありません。「横井軍平ゲーム館」は貴重な本人のインタビューを中心に氏の開発した多くの商品に光を当てるもので、1997年に発行されましたが、その後絶版になっていました。
「横井軍平ゲーム館 RETURNS-ゲームボーイを生んだ発想力-」は「横井軍平ゲーム館」を改訂し復刻したもの。注釈や図版が増えているようです。「枯れた技術の水平思考」と知られる任天堂のDNAとしても受け継がれる氏の発想力に触れてみてはいかがでしょうか?
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また、「横井軍平ゲーム館」の著者である牧野武文氏による新著「ゲームの父・横井軍平伝-任天堂のDNAを創造した男」も6月11日に発売されます。
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