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稲船敬二氏 |
まず稲船氏は冒頭の発言について「当時から日本の中で世界で戦えていたのは任天堂を除くとカプコンだけで、ゲーム業界にカツを入れるために敢えてそういう発言をした」と振り返りました。しかし残念ながら思い虚しく「当時は総スカンを食らったが、今やそれを受け入れざるを得ない状況になった」と更に厳しい状況となっていると稲船氏は続けます。
では日本のゲーム業界には何が足りないのでしょうか? 「それは簡単、勝つという意思が足りないのです」稲船氏は言います「勝つために何をするかのか、どんな努力が必要なのか、そんな簡単な事を忘れてしまっているのではないか」。その背景としてして指摘されたのは「勝つことへの慣れ」です。ファミコン以降、日本のゲームは世界を席巻しました。しかし時を経て、いつの間にか世界でのプレゼンスは落ち、敗者となった――しかしそれを認識できていないということです。まずは負けを認めることが必要で、そこからやり直す覚悟は生まれるということです。
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日本のゲームは、ビートルズの音楽、スティーブ・マックイーンの名演技、1963年型のコルベットのように過去の思い出になっているのではないか | 稲船氏自信も『ロックマン』のファンと言われるのは嬉しく誇りに思うが、それ以上の作品を生み出す覚悟を決めなければならないと言う |
人は恵まれた境遇に居ると苦労はしたくないと思うものです。稲船氏は非常に大きな経験になった2つのプロジェクトを回想します。
まずは15年ほど前、プロデューサーになりたての頃に携わった『ロックマンDASH』(MegaMan Legends)です。これはプレイステーションで始めて3Dになったロックマン作品で、稲船氏も大変気に入っていてファンからの評価も高い作品です。しかしプロデューサーとしては苦労が多く、ロックマン自体の人気も下降していたという事情もあり、世間からの期待は低く、奮闘したものの販売は悲惨なものだったそうです。
しかし次のプロジェクトとして携わった『バイオハザード2』では前作で大ヒットを飛ばした三上真司氏をサポートしながら、大ヒットを導くことができました。『ロックマンDASH』とはうってかわって、プレスからは取材依頼が殺到し、経営陣からはプロモーション予算も潤沢に付いたそうです。「しかしこれは三上真司が放った会心の一撃(前作)があるからこそで、勝ち馬に乗ったからに過ぎません。もし『バイオハザード2』が最初のプロデュース作品だったなら、なんて簡単な仕事だと慢心して今の自分は無かったでしょう」このような過ちを犯しているのが今のゲーム業界だと稲船氏は示唆します。
しかし復活の道は簡単です。「『バイオハザード』のようにブランドがあれば努力は最小限で済みます。『ロックマンDASH』のようにブランドがない、あるいは衰えた作品であれば多大な努力が必要です。しかし最大の成果が得られるのは、ブランドがあり、かつ多大な努力をした場合です。日本にはまだブランドが僅かに残っています。足りないのは多大な努力なのです」稲船氏はブランドの維持に固執している日本のゲーム業界に対して、一時のアップルのように過去の栄光のPCやOSに縛られるのではなく、返り咲いたジョブズのように発展を選ぶべきだと強く述べました。
稲船氏はカプコンを独立後、自らの会社を立ち上げ新しい挑戦を始めています。「カプコンにいて、このくらいでいい、と割り切れれば楽だったと思います。苦難を選んだことが正解だと今思っています」稲船氏は日本に足らないのは"ヒーロー"であり、ゲームの主人公のように苦難を乗り越えて勝利して大きな喜びを手に入れようと呼びかけました。
ComceptとInterceptでは新しいハードをチャンスと捉えて取り組みを進めているそうです。プレイステーションでの『バイオハザード』、プレイステーション2での『鬼武者』、Xbox360での『デッドライジング』や『ロストプラネット』、PSPでの『モンスターハンター』こうしたものを目指して、3DSでは『海王』を、PSVitaでも作品を開発中、ソーシャルゲームにも挑みます。
稲船氏は好きな国として韓国を挙げ、とてもパワフルな国と評価しました。サムスン、LG、ヒュンダイといった企業が世界中で日本企業を押し退けて躍進しています。また、K-POPと呼ばれるような韓国のスターも日本で活躍しています。「彼らは日本語を勉強して、ダンスや歌を学んで、本当に一生懸麺に努力をして日本で受け入れられようとしているのです」「日本と韓国には歴史的な問題がありました。しかし彼らはそれを棚上げしてまで日本に学び、そして追い抜いていったのです」
最後に稲船氏は次のように結びました。
「日本に必要なのは初心に帰るということです。ファミコンで作っていた時を思い出して下さい。開発者も経営者も無心でヒット作を目指していました。その頃の貪欲さをいま思い出す時です。勝つという喜びを思い出して、勝つために何でもする覚悟を決めなければなりません。私自信も"ヒーロー"となって世界で戦っていきます」
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ヒーローとなる |
講演のタイトルは「The Future of Japanese Game」。厳しい言葉の節々には、ゲーム業界への叱咤激励のメッセージと、そして自らも絶対に勝利するという意思が感じられる講演でした。