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CRI・ミドルウェアの押見正雄社長 |
―――上場おめでとうございます。簡単に会社の経歴について紹介してもらえますか?
ありがとうございます。社名にもなっている「CRI」とは、もともと「CSK総合研究所」(CSK Research Institute)の略称です。弊社の前身ですね。1983年に設立されて、私は1987年に入社しました。
―――CSKといえば・・・?
はい、ある程度ベテランの方なら、セガ(当時はセガ・エンタープライゼス)の元親会社といった方がとおりがいいかもしれませんね。実際、グループ会社だった縁でセガサターンやドリームキャストのハードウェア開発に協力することになり、現在に至るわけです。ただ、もともとは人工知能の研究開発をする会社だったんです。
―――そうなんですか?
ええ、ちょうど第5世代コンピュータの全盛期で、私が入社したときもPrologという言語の開発をしていました。ただ今から考えると文字列が扱えるだけで、UIはおざなりでしたね。それが1990年代になってマルチメディアという概念が登場し、次第に映像や音声が扱えるようになってきて、コンピュータシステムにも親しみのあるUIが必要だろうと風潮が変わっていきました。当時掲げていたのが「機械に味とぬくもりを」というキャッチフレーズです。それで開発協力をしたのが富士通のパソコン「FM TOWNS」です。
―――うわ、懐かしいですね。
当時MacintoshでHyperCardが流行っていたこともあり、大容量のデータを扱いたいということで、世界初のCD-ROMドライブ搭載パソコンの開発につながりました。それで音と映像を使うコンテンツは何かという時に、やっぱりゲームだろうということになり、弊社でアーケード筐体の「アフターバーナー」を移植することになったんです。当時からゲームは最新技術を取り込みやすかったですからね。
―――なんと、そういう経緯があったんですね。
そうこうするうちにセガサターンのプロジェクトがはじまり、CD-ROMドライブを搭載するということで、弊社で技術協力をすることになりました。当時、半分くらいの社員が立ち上げに参加しました。自分もCD-ROMドライブやMPEGチップの設計に携わりました。これが音声や映像圧縮を手がけるようになったきっかけですね。その後、ドリームキャストの立ち上げでも協力して、都合7年くらいハード開発に携わりました。