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平林
前回の対比はおもしろかったです。ヨーロッパの企業の特徴を保守的、それに対して日本の企業は新しいもの好きという話でした。ゲームに当てはめるとヨーロッパでは伝統的にボードゲームが盛んで、日本は他の国では見られない突拍子もないゲームが生まれることがあります。では、お次ということで、アメリカとなるとどんなイメージですか?
安田
保守と新しいものの中間で現実的。いや、ここはあえて英語で表現するとプラグマティックでしょうか?
平林
プラグマティック。実利的という意味ですね。ゲームに当てはめると人気ジャンルを徹底的に研究して、マーケティングで売りまくる。今のアメリカのゲーム会社の強みは、まさにプラグマティックということになりますか?
安田
はい。ゲームにたとえるとそうなりますが……。アメリカの実利主義はもっとスケールが大きいですね。以前、1980年代に日本製品がアメリカ市場で売れまくって、日米貿易摩擦が生まれた話をしましたよね。
平林
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とおだてられて、日本の対米輸出が増えていった時代のことですね。
安田
そうです。アメリカの貿易赤字が膨らんだ85年にプラザ合意がありました。簡単に言ってしまうと、為替レートをドル安・円高基調にしようとアメリカが提案。これを、日本を含む先進5カ国が認めたのがプラザ合意です。その結果、1ドル235円だった相場が翌年には150円台になるほどドルの価値は下落しました。
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平林
1985年といえば今からちょうど30年前。『スーパーマリオブラザーズ』の発売年でもあります。私が社会人になりたての頃です。
安田
私は日本興業銀行の産業調査部にいて、通産省(現在の経済産業省)を担当していました。その頃、産業金融政策を支える裏方のひとりとして、これからは過度な貿易摩擦を回避して、内需型構造の新しい経済成長国に転換するのだと、本気で考えていました。ところが、このプラザ合意がのちにバブルの誕生、そして崩壊へと進んでいきます。当時を思い出すと、日本は負けたように思えて、今でも苦々しい思い出がよみがえってきます。
平林
プラザ合意で日本が負けた?
安田
ここは詳しくお話しましょうね。日本興業銀行産業調査部の先輩で吉川元忠さんという方が書いた「マネー敗戦」という本があります。この本では日米貿易摩擦の裏側で起きたことを、マネー戦争ととらえています。ドル安・円高はアメリカの戦略でした。日本は米国国債を大量に買い込んでいます。ですからドル安になると、その価値は下がることになります。著者の吉川さんは、「極論すれば、アメリカが債務を負う相手国の国力を殺そごうと思えば、為替相場をドル安に誘導するだけでこと足りる」という趣旨のことを述べています。実際に日本が高値で買った米国国債は、95年の円高ピーク時には約7割も価値を失ったんですね。
平林
なんと! まさしくマネー敗戦ですね。ところでその戦略ですが……。ドル高の時に外国からドル建ての借金をして、ドルを刷りまくってドル安にして、ドル建てで返す。これでは借金の棒引きみたいですね。
安田
そうです。
平林
プラグマティックというか、なんだかアコギな手法のように思えます。アメリカ政府は自らが有利になるように相場を変動させているわけですから、まるでインサイダー取引のようじゃないですか。
安田
企業が発行する株式で言えばそういうことでしょう。ですが、国が発行する国債の場合、何の違法性もありません。それこそプラザ合意は、G5(先進5カ国)の財務大臣が集まって決めたことですから、国際金融の世界ではフェアな決定がされたことになります。
平林
当時の日本は、このアメリカの戦略に気づかなかったのでしょうか?
安田
戦略に気づく、その手前の段階で問題があったのかもしれません。
平林
どういう意味ですか?
安田
そもそも日本とアメリカはマネー戦争をしている、という認識が薄かったと思うんですね。ドルが暴落することなく、協調的に下がっていく。いわゆるソフトランディングは良いことだと考える風潮がありました。また、ドル安にすれば米国の貿易赤字(とりわけ対日貿易赤字)が目減りするので、日本にとって目先のメリットもありましたからね。
平林
このケースに限らず、企業と企業、個人と個人でも国際間の交渉で日本人は「相手に悪い」を意識すると思うんです。ところが先方は「相手が悪い」こととして、グイグイ突っ込んでくる。そういう場面によく遭遇するのですが、プラザ合意もそういう類の交渉事だったのだな、と。改めて整理できました。ところで、プラザ合意でドル安誘導ということですが、1971年にもドル相場は大幅に下落していますよね。
安田
ドルが金と交換できなくなることをアメリカ政府が一方的に宣言したことからはじまる、いわゆるニクソンショックですね。
平林
その後、米ドルは金と交換されなくなったので、ドル札は兌換紙幣ではなくなった、ともいえるわけです。つまり、ドルの価値は金に交換できるから価値があるのではない。アメリカという国に信用があるから価値がある、そういう変化が起きました。
安田
そうですね。
平林
で、この1971年というのがおもしろい年でして。偶然の一致ですが、ゲーム産業がスタートした年でもあります。ATARIができる1年前、ノラン・ブッシュネルさんが『コンピュータスペース』という世界で初めての商業用ビデオゲームを発売したのが1971年でした。紙幣が金と物々交換するハードから、国家の信用というソフトに変わった。というわけで私は、1971年は米ドルもコンピュータも、ソフト化、ゲーム化がはじまった年ととらえているんです。
(つづく)
「オールゲームニッポン」過去回はこちらから。