
コナミが1985年にリリースした名作横スクロールシューティングゲーム『グラディウス』は、惑星グラディウスを守るために飛び立った超時空戦闘機ビックバイパーと、他星への侵略の手を止めない亜時空星団バクテリアンの戦いを描くゲームです。
6ステージを戦い抜くと、最終ステージはいよいよ最終目標である敵要塞ゼロスの内部に突入。その最深部で待ち構えるマザーコンピューターは「プラズマ(or電流)のようなものを帯びた脳」という、ちょっと生々しいデザインでした。

名目上はこのマザーコンピューターがラスボスになるのですが、戦闘力はまったくなく、さらにはショットをまったく撃たず見ているだけでも10秒ほどで自壊します。以来「ラスボスはほぼ戦闘力を持たず、その邂逅は基本的に演出で終わる」のが『グラディウスV』まで続くナンバリングシリーズの恒例となりました。
また、『グラディウス』シリーズは最終ステージが敵要塞内部への突入なのもお約束で、激しい弾幕、行く手を阻む破壊不能の巨大エネミー、閉まる前に通過しそこねるとミス確定のシャッターなど、殺意に満ちたさまざまな敵や仕掛けが歓迎してくれますので、筆者はラスボスとの邂逅が演出で終わるからといって拍子抜けすることはまったくありませんでした。

「単体で生きる脳」の元ネタはなに!?
さて、ここからは前述のマザーコンピューターのような「脳だけで生きている状態/存在」についてちょっとだけ深堀りしてみます。
これはSFの鉄板ネタのひとつと言えるもので、『グラディウス』の翌年にリリースされた『メトロイド』のラスボス・マザーブレインもシリンダーのような容器に詰められた巨大な脳というビジュアルでした。では、その源流はどこまでさかのぼれるでしょうか?
元ネタはゲームではなく海外のSF小説あたりではないだろうか…と当たりを付けながらネットで少しずつ古い情報をさかのぼっていってたどりついたのは、イギリスの著名な研究者であるジョン・デスモンド・バナールでした。
バナールが1929年に記した著書「The World, the Flesh & the Devil」には、「脳は、正しく処方された新鮮な血液に満たされていれば(それ単体でも)生存できるであろう」というようなことが記されているようです。
バナールのその言には根拠があり、わずかな時間ながらも犬の脳を脳単体で生きながらえさせたという実験結果に基づいてのものだったようです。さらに、この本は20世紀を代表するSF作家アーサー・C・クラークが絶賛したとのこと。つまり、後世のSF作品への影響も極めて大きいものだったと考えられます。
さらに4年さかのぼった1925年のSF小説「ドウエル教授の首」にも似たようなネタが書かれているようですが、これはタイトルにも「首」とあるように、脳というより「首から上」を生存させるというネタだったようです。
筆者はこれ以上うまく情報をさかのぼれませんでしたが、「実は元ネタはもっと古いんだぜ」というのを知っておられる方がいましたら、ぜひコメント欄でそっと教えてください。PCエンジン miniで初代『グラディウス』と『グラディウスII -GOFERの野望-』を遊びながらお待ちしております!
