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2022年10月よりTOKYO MXなどで放送スタートし、アニメファンのなかで、そして邦楽ロックバンドファンのなかにジワジワと人気が高まっている作品があります。
別々の高校に通う女子高校生がヒョンなキッカケでバンドを結成し、東京・神奈川を舞台にしてバンド活動をしていく漫画・アニメ作品『ぼっち・ざ・ろっく!』について、この記事では書いていきます。
なぜゲームをメインにしているサイトが同作品を書くのか。15歳のときからロックを愛し始めてはや20年近く経ってしまった筆者と、SHISHAMOの名曲「君と夏フェス」のMVにカメオ出演した経験を持つロックフェス好き兼インサイド編集長の意見が、「この作品は書くべきでは?」と一致したから。
ぜひ楽しんでいってください。
◆ぼっち・ざ・ろっく!とは?超簡単にまとめると
『ぼっち・ざ・ろっく!』は、はまじあきさんによって描かれている4コマ漫画で、芳文社が出版しているマンガ雑誌『まんがタイムきららMAX』にて、2018年5月号から連載をスタート、2022年11月末には5巻目の単行本が発売されています。
動画投稿サイトで有名なギタリスト「ギターヒーロー」として活動する後藤ひとり。彼女は極度の人見知りでコミュ障な性格ということもあって、バンド活動や文化祭ライブに憧れながら、実際には友達すらまともに作れないまま中学を卒業することになります。
神奈川の地元を離れて下北沢方面の高校へと通学していた後藤ひとりは、ある日の帰りにドラマー・伊地知虹夏にギターを持っているところを声をかけられ、伊地知のバンド「結束バンド」の代役ギタリストとしてライブに出演。
バンドメンバーであるベース・山田リョウ、同じ高校の同級生でありギター・ボーカルの喜多郁代とともに、後藤は徐々にギタリストとして、そしてバンドの一員として「結束」して成長していく姿を描いていきます。
さて、なぜ本作がヒットし、徐々に広まっているのか。その深みを少しずつ掘り出していきたいと思います。
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◆邦楽ロックとアニメ・マンガのハネムーン なぜ彼らは手をむすんだのか?
この作品の描写・表現には、邦楽ロックからの多くのオマージュが差し込まれており、アニメ作品となった表現にもいたるところに邦楽ロックからの引用があり、なにより音楽に関わるスタッフィングにその強みが色濃く出ているといえます。
アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』のオープニング/エンディングテーマを務める作詞・作曲のメンバーをズラっと書いていきましょう。
シンガーソングライターとして長年活躍を続けてきたヒグチアイ(名義は樋口愛)、ロックバンド・KANA-BOONのギターボーカルを務める谷口鮪、tricotやジェニーハイなどで活躍を続ける中嶋イッキュウ、高校時代にEMIミュージック・ジャパン主催の「REVOLUTION ROCK」で優勝し、そのままメジャーデビューを果たしたthe peggiesの北澤ゆうほといったコンポーザーやフロントマンがズラっと並んでいます。
これまでに多くのアニメソングを歌い生みだしてきたZAQや草野華余子に、かつてハートバザールのギタリストとして活躍し、ONE OK ROCKやMAN WITH A MISSIONなどのロックバンドを中心にサウンドプロデュース・アレンジを勤めていたakkinも編曲としてクレジットされています。
主題歌や劇中曲の反響はかなり強く、Spotify・iTunes・LINEなどの様々なチャートで堂々と上位を占め、首位を獲得。並みいる強豪を抑えてランクインしている状況は、翻って多くのアニメ視聴者が注目していることを意味しています。
「邦楽ロックから多くのリファレンスがある」ことが伝わるかと思いますが、冷静に突っ込んでみましょう。
「邦楽ロックバンドのタイアップっていまじゃ珍しくないし、彼らも多くのタイアップがある。スペシャルな感じが特にしないのだけども」
おっしゃる通り。
1990年代や00年代はじめ頃ならまだしも、2010年代を過ごす中で多くのロックバンドがアニメ作品のタイアップを勝ち取ってきました。「タイアップ楽曲」ということでアルバム楽曲よりも凝ったサウンドや芯を突くような歌詞が表現されることも多く、「アニメからこのバンドを知って好きになった」「アニソンしか聞かないけどもこの曲は好き」など、さまざまなレイヤー(層)に向けて楽曲が届き、多くの人の注目を集めることになりました。
単に「音楽系作品だから豪華」という評価も通用しません。音楽とは無縁そうな作品でこれ以上に豪華な音楽系クリエイターらを選んでいる作品が、おなじ秋クールにあることを忘れてはいけないでしょう。
先にも述べたように、この作品には「邦楽ロックバンドからの影響・オマージュ」が強く出ています。それについて詳細に書くには、すこしだけ歴史を振り返る必要があるでしょう。ここから先のお話しでは、現在バンダイナムコミュージックライブの音楽レーベルであるランティスなどのアニソン色の強いレーベルの話や、90年代以前の下北沢や渋谷でのライブハウス周辺のお話はいったん置いておくとします。
分かりやすく、そもそもヒロイン・後藤ひとりがなぜ神奈川から下北沢へわざわざ通うのか?ということから話を広げていきましょう。
作中では「友達がいなすぎて黒歴史だから、より離れている高校に行きたかった」と語っています。原作マンガ・アニメなどで描かれている彼女の住まい、ならびに路上ライブをしている場所はおそらく金沢八景付近でしょう。
金沢八景、下北沢、そして主要人物が後藤、喜多、山田、伊地知とくれば、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのオマージュだとすぐにわかるファンは多いはずです。
彼らがバンドを結成したのが関東学院大学の金沢八景キャンパスであり、大学在学中から卒業後にインディーで活動しているなかで下北沢を中心にして活動していたことも、ここに意味を添えています。
当時の下北沢にはハイラインレコーズというレコードショップ兼インディーズレーベルがありました。第一弾のアーティストとしてBUMP OF CHICKENをデビューさせ、新人アーティストのデモテープや自主制作盤を置き、自主レーベルからデビューさせたり、メジャーレーベルや多くのファンの注目を集めるのに大きな役割を果たしたレーベルです。このハイラインレコーズだけでなく、数多くのインディーレーベルを傘下にして現在も運営がつづくUK PROJECTが下北沢を拠点に活動していることも、強いイメージ・印象を与えているといえるでしょう。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONはここで音源を販売し、何週間にもわたって1位を獲得していたことがあります。ギター・ボーカルである後藤正文さんが当時の戦友にストレイテナー、ELLEGARDEN、ACIDMAN、ART-SCHOOLの名前を挙げることが多いことで有名です。彼らがまだまだ駆け出しのインディーバンドであった2000年代初期。時代はHi-Standardを中心にしたメロコア~ポップパンク、青春パンクと言われるムーブメントが強くありました。毛色が違った彼らはその波に入ることなく、下北沢を中心にして粛々とその腕を磨いていくことになります。
その後彼らがメジャーデビューやフェスを通じて存在が知られ始めると、音楽雑誌ロッキンオン・ジャパンは当時から彼らを中心としたバンド群にスポットを当てた特集を何度となく組み、全国区へと広がっていくことになったのです。特にASIAN KUNG-FU GENERATIONはアニメタイアップの影響もあり、その名を全国に轟かせていきます。
そうして付けられた潮流が「下北沢系ギターロック」。そのサウンドや質感は後年に渡って邦楽ロックに大きな影響を及ぼし、多くのロックバンドにとって模範となり、リスナーにとっては「当たり前のもの」とすら感じられるサウンドとなっていきます。
「なぜ下北沢が日本のロックバンドの聖地となっているのか」あくまで2000年代から現在までに区切ってみるとこのような流れになります。
本作が内包している邦楽ロック成分・要素はこういった部分だけにはもちろん留まりません。原作マンガの各話1P目に描かれた扉絵を見てみましょう。芳文社が運営しているマンガサービスサイト「COMIC FUZ」で扉絵を見ることができます。
ぼっち・ざ・ろっく!
https://comic-fuz.com/manga/72
どこかスタイリッシュであったり、おかしな構図で味のある絵があります。邦楽ロックファン、特に2010年代以降の邦楽ロックを愛する方ならば「あのバンドのあのPVだ!」とすぐに分かるかと思います。
原作2話の扉絵がASIAN KUNG-FU GENERATION「リライト」を元ネタにしているのを皮切りにして、KANA-BOON、フレデリック、クリープハイプ、UNISON SQUARE GARDEN、ヤバいTシャツ屋さん、the pillows、サカナクション、ポルカドットスティングレイ、フジファブリック、ゆらゆら帝国、Number Girl、八十八ヶ所巡礼、ネクライトーキー、BAND-MAID、女王蜂、RADWIMPS、[Alexandros]、BUMP OF CHICKEN、リーガルリリー、BLUE ENCOUNT、東京事変、yonige 、マカロニえんぴつ、キュウソネコカミ、赤い公園、My Hair is Bad、King Gnu、THE ORAL CIGARETTES、ゲスの極み乙女。、ニガミ17才、パスピエ、ヒトリエ、ドミコ、Cody・Lee(李)、くるり、夜の本気ダンス、Hump Back、Chilli Beans.、羊文学、CRYAMY、sumika、the peggies、NEE、w.o.d.、ビレッジマンズストアなどなど…
もう一度書きますが、いま挙げたバンドは音楽漫画の扉絵にオマージュ元であろうバンド群であり、決して音楽フェスの出演者一覧ではありません。冗談はさておき、オマージュ元になったであろうバンドは音楽フェス・邦楽ロックシーンの先頭を走るバンドばかりです。
漫画・アニメを見てみましょう。アニメ第1話、押し入れのなかで後藤ひとりがパソコンをチェックするシーンで、壁に貼られているポスターはKANA-BOONのシングル『なんでもねだり』(リリース年月が5月13日で同じ!)『フルドライブ』、後藤さんが愛用しているバッグに付けられた缶バッチはSUPER BEAVER、クリープハイプ、ザ・クロマニヨンズがそれぞれ元ネタとなっています。
途中で読もうとした雑誌が「ロッキンオンジャパン」であり、フォントの作りもかなり寄せていることがわかります。ちなみに表紙を飾っているのはおそらくbuck numberでしょう。
伊地知虹夏の姉・星歌が店長を務める「STARRY」のライブハウス内・外観は、下北沢SHELTERとかなり似ています。地下に至るまでの階段、店名のネオンサイン、ライブハウスの入口からバーカウンターまでの階段、そしてバーカウンターに掲げられたメニュー表やお馴染みの巨大時計にいたるまで、このお店に行った方ならばすぐにそれと分かるレベルです。
ライブハウスといえば壁にポスターが貼られていますが、よく見てみるとKOKE ROCK、U's、CHAMP OF HUMANといった名前が。これはSAKEROCK、ゆず(おそらくB'zとのミックス)、BUMP OF CHICKENを意識しているところでしょう。このほかにも、様々なバンドやアーティストの名前やCDジャケットデザインを混ぜ合わせたアナグラム的な表現がされています。
それだけでなく、虹夏さんと後藤さんが一緒に歩く背景の下北沢の街並みにも注目してみましょう。現地によく足を運ぶ方ならば「ここはあのスーパーとヴィレッジ〇ァンガード近くの踏切から付近の道」「ここは新しくできた遊歩道の近く」といった部分まで分かってしまうはず。邦楽ロックのDNAだけではなく下北沢の街並みをうまくアニメ作品に落とし込んでいるのです。
ちなみに、ASIAN KUNG-FU GENERATIONが活動初期に慣れ親しんだライブハウスが下北沢SHELTER。彼らが東京のライブハウスで唯一オーディションに受かったライブハウスであり、ライブハウスツアーをする際には必ずチョイスしているほどです。
なるほど、この作品が「邦楽ロックの血筋」を色濃く残していることはとても伝わってはくる。ここまでくると根本的に「邦楽ロックバンドにアニメ作品タイアップがなぜ多く集まるのだろう?」そう不思議がるひとは多いと思います。
日本のアニメ作品は基本的に、いかなるエンディングであっても「希望」「ポジティブさ」を視聴者に示すことが求められています。どのような難しい場面、絶望、悲しみの中にあっても、ただただ悲しみのなかでイジけているだけではない反発・抵抗・衝動を掴み、さまざまな技法・演出・演技を折り重ね、パワフルに、軽やかに、甘酸っぱくも跡を残すようなインパクトを視聴者に残す。よりよいアニメ作品にはそれが求められます。
日本のアニメ作品にはもうひとつ、傾向として個人主義な性格がとても強くあります。2010年代でもっともヒットしたアニメーション監督・新海誠さんを皮切りにして、宮崎駿さん、庵野秀明さん、押井守さん、細田守さん、富野由悠季さんなど、監督のプライベートな作家性や心情を重視して原作を作り上げ、それをうまくマスに(大勢に)届けようというスタンスです。
本作は漫画原作なのでここでは原作者・はまじあきさんの感性ということになりますが、基本的な構図は同じでしょう。クリエイター1人の感性を活かし・サポートするように多くのスタッフ・メンバーが参加して制作に励む、ストーリーやキャラクターデザインに対して数十名で合議しながら作品を作っていくディズニー作品とは毛色が違い、日本のアニメーション作品はとても個人作家主義といえるでしょう。
「個人の感性や表現を磨き上げ、サポートするメンバーが存在する」この点は日本のロックバンドが長きにわたって、いやロックミュージックというアートフォームが元来放っていた魅力でもあります。
いかなる絶望や悲しみのなかにあっても、「ここではないどこかへ」と走り出したり、よりよい未来を掴み取るための爆発力を表現してきたのがロックミュージックにある一面であり、その一面性は1人の個人作家(作曲・作詞担当)によって「えいっ!」と思い切って描かれるパターンが多いのです。
BUMP OF CHICKENとASIAN KUNG-FU GENERATIONを始めとする当時の下北沢系ギターロックはその傾向がより強く、時として曖昧な言葉遣いでまどろんだ心を表現し、時として明確な主語と言葉遣いで肌が刺すような刺々しさで、自分自身の心象風景をより強く押し出していました。
コンポーザーである作曲者・作詞者の個人視点で、孤独・空虚・寂寞感をさまざまに抉りだし、音楽という広がりを得て表現していく。この傾向はもちろん後年のバンド群にも引き継がれていきます。作風だけでなく制作スタンスにおいても似通っていた日本におけるアニメーション作品とロックミュージック。この2つが手を結ぶのは、必然であったかもしれません。
◆ぼっちはギターを持てば光り輝くのか?
このマンガ・アニメ作品にはそれぞれにキャッチコピーがあります。原作漫画では「陰キャならロックをやれ」、アニメ版では「4人でも、ひとり。」です。
言葉の刺々しさも視点も別々ですが、この作品のコアをしっかりと掴んだ作品だといえるでしょう。
ヒロインの後藤ひとりは陰キャでコミュ障として描かれ、その名前どおり愛称は「ぼっちちゃん」と呼ばれています。
彼女が漫画・アニメのなかで見せている問題は、ズバリ他人とうまくコミュニケーションが取れずに孤独になってしまっているということです。
マンガ作品では元々のキャラクターデザインから遠く離れることが多く、特に「独り言モード」に入った際には線のタッチがいきなり太くなったり、目・鼻・口がどこかに飛んで行ったり、しまいには体格や髪の毛を象る輪郭線すら無くなってドロドロになったり、かなり戯画的に描かれることが多いのが彼女。
なぜ「戯画≒カリカチュア」な使い方をしているといえるのか。ずばり、彼女の抱えている他人とのコミュニケーション問題は、その多くが「後藤ひとりの妄想・考えすぎ」であることがとても多いから。
その結果として、考えすぎてしまってふさぎ込んだ後藤ひとりをサポートするかのように、喜多・山田・伊地知らバンドメンバーを中心にした登場人物らは触れ合っていくようになります。後藤とのやり取りで自分の新たな側面を見出したり、自分の夢を初めて他の人に告白したり、さまざまな変化が後藤ひとりを中心にして起こっていくのです。
これまで孤独であったが故の闇深さや「考えすぎ」ている思考内部、反動として見せてくれるピュアな表情・反応、くわえて作品内で起こるさまざまなコミュニケーションと心の模様・機微にいたるまで、アニメ作品では実写テイストな表現やコンテの切り方に一工夫入れるなどして、さまざまに表現しています。
「アニメ作品だからアニメらしく」という常識を超えていくような表現は、とくに後藤ひとりの「独り言モード」のときによく見られます。「独り言モード」は基本的にはギャグテイストな描かれ方が多いため、アニメ表現としてのアウトプットもコメディなニュアンスを強めることが許されています。
彼女を描く手立てが突飛な表現であればあるほど、アニメ・映像表現の面白さをもしっかりと捉えるだけでなく、作中で描かれるべき後藤ひとりの性格・才能・センスに深みを与えることができるのです。「フェルトで作られた後藤さん人形で人生ゲーム」「いちど落ち込み始めると顔面がおかしなことになって戻らない」といった表現は、後藤ひとりの人格・キャラクターを巧みに描いている最たる部分でしょう。
自己憐憫、被害妄想、自己否定に苛む後藤ひとり、それを見つめる周囲のキャラクターという構図はマンガの中でもしっかり構図化されており、ある意味では「滑稽な姿」として後藤ひとりを捉えています。もしかすれば「度を越して悩みすぎるのは滑稽に見える」「すぎるほどに悩むのは良いとは言えない」という暗黙のメッセージがこめられているのかもしれません。
アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』8話は、4人となって初めてとなるライブが披露される回です。気合を入れて臨んだ初ライブですが、台風が直撃してしまい想定していたよりもお客さんが入らない状況となり、集中しきれないまま演奏してしまいます。それは作画というよりも、実際に奏でられているバンドサウンドに顕著に現われており、チグハグな演奏なのが伝わってきます。
「このままではいけない!」と後藤ひとりが奮起し、バンドの中で埋もれがちだった自身のギタープレイが冴え渡り、観客も「おっ」と思わせるほどに惹きつけてみせます。
ここで彼女が見せた「このままではいけない」という自覚は、「陰キャな自分がここでブチかます」というだけでなく「自分が自分を変えていく」という爆発力や自己革命という形となって強く表出しています。
「結束バンドのギタリストとして、もっと良いバンドにしたい」
同話の最後に後藤は虹夏にこのように言い切ります。
これが一つの節目となり、彼女は彼女らしく、新しい彼女像を少しずつ作り上げていくことになっていくのです。それがどれほどの進行具合になるかは、アニメ本編や漫画原作をぜひご覧ください。
さてここまで書いてきましたが、ここで冷静になってみましょう。「陰キャならロックをやるべきなのか?ひとりぼっちな人間はギターを持てば光り輝くのでしょうか?」
もちろんですが、確実にそうだといえる確証はありません。ですが、多くのバンドマンや楽器を手にするひとの最初のキッカケは、「つまらない日常を変えたい」「テレビなどでみたスターのようになりたい」という欲望からスタートしているはず。
『はじめの一歩』流に言い直してみれば、「ギターを持った者が全てキラキラと光り輝くとは限らない。 しかし光り輝いている者はみなすべからく努力している」といったところ。
ここで別の視点を投げかけてみましょう。そもそも女の子が1人、いきなりギターを持って歌うことはありえるのか?と。
すこし前の時代なら「それはフィクション、創作の世界にあるワンダーワールドだよ」と笑いながら冗談を吹かしていたでしょう。ですが時代は変わります。確かにマンガやアニメということでフィクションであることは変わりないですが、今作で描かれている要素を一つずつ見ていけば、紛れもなくリアリティやノンフィクション性の強さを感じ取れるはずです。
漫画作品のなかでは「未確認ライオット」というオーディション大会に出場しようという話があがります。これは2009年からスタートしていた10代限定の夏フェスとして10年近く継続したライブイベント「閃光ライオット」「未確認フェスティバル」をオマージュしているでしょう。
この2つのイベントに出演し、その後メジャーデビューを果たしたバンドは数知れず。なにより出場するバンドはほとんど高校生ばかり。このコンテスト以外にも高校生アマチュアバンドを謳ったオーディションやコンテストは多くあります。先にも書きましたが、the peggiesの北澤ゆうほさんはそういったコンテスト・コンペティションを勝ち上がった人物です。
後藤ひとりが動画投稿し人気を博している、という部分もかなりリアリティがある部分でしょう。「歌ってみた」「踊ってみた」「演奏してみた」といったタグをつけて、自分が音楽を奏でている様子をネットにアップするのは、世界的に見てももはや当たり前の事といえます。むしろそういったカバー動画を積極的にアップロードすることで、ネット上で人気を得ようとするインディーミュージシャン・スタジオミュージシャンがいるほどです。
より日本に話を引き付けてみれば、ここ5年で目覚ましい活躍を見せているAdo、藤井風、米津玄師といった面々は、それぞれの形で「ネットを通じて人気を博した」タイプ。彼らのような成功例に合わせるまでもなく、このほかにも多くのインターネットから人気を得て飛びだしたバンド・シンガー・ミュージシャンは枚挙に暇がありません。
「女性がギターボーカルを務める」「女性がロックを奏でる」という潮流はどうでしょうか。00年代にチャットモンチーやSCANDALが強くリードしていきましたが、現在では非常に多くのガールズバンドが登場してきました。国内外で長く活動をつづけてきたSCANDALを筆頭に、SHISHAMO、Hump Back、the peggies、yonige、BAND-MAID、LOVEBITESに、かつて活動していた赤い公園、ねごと、SILENT SIRENらもここに入るでしょう。
メンバーが男女混成であるバンドも非常に多くなってきたことも、この話に大きな意味をもたらします。「女の子が楽器を持つ」という話は、ヘタな妄想などではなく十二分にリアリティがある話しなのだと証明します。
いまの日本において、なんでもない平凡な女子中高生がロックバンドをするというのは、当たり前に起こっている「日常」のことです。
後藤ひとりはギターを愛しすぎたがゆえにぼっちになったのでは?という疑問が浮かびますが、仮にそうであったとして、ギターという6本の狂ったハガネの振動をドデカイ音で鳴り響かすというロマンスに恋焦がれてしまった少女は、「内気でコミュ障な自分を壊す」ためにギターを手に取ります。
それだけでも十二分に、大きな自己変革。自分自身を輝かせようと躍起になっている姿だといえます。
◆「けいおん!」から「ぼっち・ざ・ろっく!」まで それは新たな『きらら系・日常系』として
芳文社のきらら系マンガに対して、「日常」という言葉をいま自分は使いましたが、そこに大きな差があるのを感じる方は多いはずです。
かつての「ひだまりスケッチ」「けいおん!」にはじまり、「きんいろモザイク」「ご注文はうさぎですか?」「ブレンド・S」を通過し、「NEW GAME!」「ゆるキャン△」から本作「ぼっち・ざ・ろっく!」までを線で引くとき、2010年代後半でブレイクを果たしたきらら系日常マンガの多くは「読者の日常・現実世界にあるものと接続し、強いよりどころとなっている」パターンが多いのです。
高校や学校という箱庭性の強い場所で起こるであろう出来事をある一定の想像・妄想によって描きつつ、時に日本外のヨーロッパ・アメリカ的な想像力も駆使しながら、きらら系の日常系マンガは描かれていました。4コママンガという形が起承転結を高速で回転させ、コミカルにキャラクターを描くことに適していたということもあり、描かれる少女たちの魅力をよりグッと掘り下げることを可能にしていました。
「NEW GAME!」では女子高生ではなく「社会人として会社」が居場所となり、「ゆるキャン△」では一人ひとりの友人関係ではなく「キャンプ場」「キャンプをしている時間」が居場所となっています。この2作に限らず、「はるかなレシーブ」「恋する小惑星」など、スポーツや文化系部活をモチーフにしてそれぞれにアクティブな活動をこなしている作品が多いのも特徴的です。
「けいおん!」で部室の一室でゆるゆると友人関係を育んでいた内容を思い出しつつ、「ぼっち・ざ・ろっく!」にフォーカスを戻せば、日本のロックやライブハウスのムードや習わしを導入し、女子高生が「ライブハウス」を居場所にしてさまざまに活動している点が、大きな差異となるでしょう。学校外にあるライブハウスを居場所とし、社会との繋がりが重なっていく、アクティブかつ現実性の高い作風。これに連なる作品としては、架空の町「多魔市」を舞台にして町内トラブルを解決していく「まちカドまぞく」も共通しているといえるでしょう。
「若い女の子たちのゆるふわな日常を描き続けていく」作品あるいは「萌え4コマ」作品とも称されてきた日常系4コママンガは、「密室性・閉鎖性を感じさせる箱庭世界での生活」(作品によっては「女性しか登場しない」という徹底もありました)という部分をより拡大し、「現実性のあるテーマ・カルチャー・土地を意識して活き活きかつコミカルに女の子たちを描く」マンガへと変貌を遂げた、。新たなきらら系マンガ・日常系4コマ作品の成長ともいえるでしょう。
ここにもう一つ、後藤ひとりが「陰キャ・コミュ障」という性格であることも重要です。ここ1年でアニメ化されブレイクした『古見さんは、コミュ症です。』を筆頭にし、他人とうまく会話・コミュニケーションが取れない/苦手であるという主人公は多く登場しています。
視聴者・読者が共感できる人間として描かれている「後藤ひとり」は、つねに空虚さや虚しさがつきまとい、マイナスイメージや後ろ向きな言葉が口をついてでます。「コミカルかつ明るく」という志向性があるきらら発の日常系4コママンガのなかで、彼女ほどマイナス思考なヒロインはほとんどいないですし、そういった見方を抜きにしてもここまでマイナス思考に陥るヒロインはあまりいないでしょう。
これまでのきらら発の日常系マンガのヒロインといえば、他人との繋がりにさびしさや煩わしさについて悩んではいるものの、「友達がいない」「キラキラと輝いていない」ことが物語に大きな影響を及ぼすほどの悩みとなり、ヒロインが苛むような姿は描かれてはいませんでした。
きらら発の4コママンガで描かれるような溌溂としてキラキラした青春めいたシチュエーション・描写は、後藤ひとりにとってはむしろ大の苦手としているところだったはずです。
そんな問題山積みな後藤ひとりという女の子をうまく描き、他人の幸せを痛みに感じられるほどのピュアな心を臆面なく表現することで、切迫した心境や豊かな感受性をコミカルに描いているという点は、本作を「新たな日常系」「令和のきららのニュー・スタンダード」足らしめているといえます。
本作に描かれているのは、アニメ的・マンガ的な脚色がありながらも、どこにでもいそうな女の子の物語。魔法も魔術もスーパーヒーローも決して出てこないですが、音楽から溢れ出るファンタジーと爆発力、人ひとりが持つ感情の揺らぎなど様々な形で詰まった作品なのです。