6月7日、「ゲームボーイ Nintendo Switch Online」に『ロックマンワールド』シリーズ5作品が追加されました。
「ステージに挑む順番を自分で選択できる」「ボスを倒して得た新武器で有利に戦う」という概念を確立させたロックマンシリーズは、当時の子供たちに革命的な発想の転換をもたらしました。大人に言われた通りの手順をただただこなすのではなく、自分の持ち味を生かして好きな順序取りでゴールを目指す。そうした自由度の高い概念は、バブル崩壊後・冷戦終結後の日本において重大な意味を発揮するようになります。
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この記事では『ロックマンワールド』をプレイしつつ、それが我々の日本という国にどのような影響を与えたかを考察してみます。
◆“自由に選べる過程”を教えてくれたロックマン
ファミコン版である初代『ロックマン』の発売日は1987年12月17日。当時はソビエト連邦という巨大国家があり、アメリカとの冷戦を継続していました。
ただし、ソ連の書記長がコンスタンティン・チェルネンコからミハイル・ゴルバチョフに代わると、ペレストロイカとグラスノスチという政治改革が実行されます。言論や集会の自由を認め、なおかつ市場経済を部分的にではありますが導入するようになります。しかし、それはソ連の社会主義体制が崩壊する序曲でもありました。
クレムリンの偉い人たちが頭を悩ませている頃、日本の子供たちはファミコンに熱中していました。8ビットのゲーム専用コンピューターは、子供たちに新しい概念を供給し続けました。それは、「24時間働けますか」というスローガンを胸に朝早くから夜遅くまで働き続ける大人のしがらみとは無縁の世界でもあります。
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ロックマンが子供たちに与えた新概念は、持久力最重視の大人の行動原理と相反していました。どんなに体力があろうと、強力な武器を持つボスの前では無謀な消耗戦を強いられてしまいます。たとえば、エレキマンは非常に強力な「サンダービーム」という武器を放ちます。貧弱なロックバスターしか持っていなければ、結局は体力負けしてしまいます。
しかし、このエレキマンはローリングカッターという武器に対しては脆弱です。ローリングカッターがあるのとないのでは、難易度に大きな違いがあります。
ただ単に体力でゴリ押しするのではなく、「どうしたらより有利に戦えるか」を考えて攻略する。ロックマンは、冷戦終結後の時代を先取りした発想を含んでいました。
◆ファミコン版のゲーム性はそのまま!
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そんなロックマンが舞台をゲームボーイに移し、『ロックマンワールド』として世に登場したのは1991年7月26日。ファミコン版『1』に登場のボスが4体、『2』のボスがワイリーステージのボスラッシュで4体登場するという構成でした。
E缶のような携帯できる回復アイテムはなく、さらにステージ構成のいやらしさも相成り(初見殺しの場面も見受けられるほど)、難易度は高め。しかしそれは理不尽なものではなく、時間をかけて挑戦していけばいずれは攻略できるレベルです。
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ボス毎に設定されている弱点武器も、『ロックマンワールド』に健在。ファミコン版のゲーム性はまったく損なわれていません。「外に持ち出せるロックマン」は、それをまだ知らない子供たちに上述の新概念を伝導する役割も果たしました。
◆子供たちの個性が出るゲーム
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「どのステージを最初に攻略するか?」という点は、子供たちの個性が出る部分だったはずです。
実際に『ロックマンワールド』をプレイすると分かりますが、どのステージも最初からロックマンを倒す気満々の仕上がりで、しかも上述の通りE缶がありません。どうにかこうにかステージを潜り抜けても、待ち構えるボスに呆気なくやられる……という経験をした人は少なくないと思います。
ただし、そこは腕前の見せどころ。カットマンステージのほうが楽という子もいれば、アイスマンステージのほうが楽という子も。また、ボスとの対決も弱点武器に頼らず、ボスの動作パターンだけを見てロックバスターで倒してしまう子もいます。
このゲームに画一的な回答はなく、個々の技量と創意工夫が物を言うシステムです。それは、冷戦終結後の世界を生きるのに必要な発想を身に着けるための教材でもありました。
◆ロックマンと共に「21世紀の扉」へ
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『ロックマンワールド』が発売された当時、既にバブルは崩壊していました。
その上で、1991年8月にはソ連で軍事クーデターが発生します。これは失敗に終わり、結果としてソ連の崩壊につながりました。アメリカに対抗していた超大国の終焉は、同時に産業構造の変化を意味しました。
アメリカの核の傘の下、西側陣営として経済成長を遂げた日本。しかし、COCOM(対共産圏輸出統制委員会)の取り決めに従って一定規格の製品を大量生産すれば確実に売れた時代は終わり、90年代からは製品開発にも「自由な発想」が求められるようになりました。冷戦が終わった安堵感は多様な需要を生み出し、それに合わせるように80年代にはなかった斬新な製品が次々と登場します。家庭用コンピューターの劇的進化も携帯電話の一般普及も、90年代から始まりました。
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誰かに決められるのではなく、自分の思った通りの過程をたどればいい。そこに豊かな発想が生まれ、今までになかったコンセプトの製品やサービスが生まれます。
ロックマンは、日本の子供たちに「21世紀の扉」の位置を教えてくれました。