日本でファミコンが発売されたのは1983年7月15日です。しかし国内での大ヒットでさっそく海外でとはなりませんでした。1984年、国内ではアタリショック(海外ではVideo Game Crash of 1984)と呼ばる出来事が起こり、米国の家庭用ゲーム機市場は文字通り崩壊しました。ソフトの粗製乱造により興隆を極めた産業は一気に縮小しました。
任天堂は当時、ニューヨークに現地法人・任天堂オブアメリカを設立して業務用ゲームの販売を行っていました。荒川社長(当時)が始めたのはゲーム業界の残骸探しからでした。様々な小売店を訪ねては、ゲームは2度と御免だ、という反応を貰ったそうです。
任天堂の後に続く戦略はここで作られたものが数多くあります。例えば質の低い許可を得ていないソフトを弾くためのロックアウトチップなどはその1つです。名称をEntertainmen Systemとしたり、ロボットやキーボードなどの周辺機器を充実させたのもゲーム機という印象を薄くするためだったと言われます。
発売日について結論を言えば1985年10月18日が米国でのNESの発売日になります。任天堂は広い大陸で一斉に発売するのは現実的ではないことから、代表的な都市をピックアップして市場実験を始めます。選ばれたのはニューヨークで、山内社長の「一番難しい都市で」という一言だったそうです。
当初は困難を極めましたが、店頭ディスプレイを任天堂持ちで設置したり、とにかくタダでいいから置かせて貰うといった涙ぐましい努力の結果、このテストでは年末までに5万台が売れたと言います。この勢いをかって任天堂は翌年2月にはロサンゼルスに進出して、ここからNESの全国展開が始まっていきます。
2年目には300万台が売れました。最終的に1995年に製造が中止されるまでに6200万台のハードと5億本のゲームが売れました。そんなNESですが、実は日本以外での権利をアタリに売るというような交渉がされていたこともあります。そうなっていたら今の任天堂は無かったでしょうね。