![]() |
『シェンムー街』は、ドリームキャストで発売され国内外から高い支持を得たタイトル『シェンムー』シリーズの世界観を踏襲したソーシャルゲームです。
ゲームの配信・運営をサン電子が、企画・開発を株式会社YS NETが、全体監修を株式会社セガが担当します。
![]() |
配信・運営を担うサン電子株式会社の吉田喜春社長 |
制作発表会ではまず、サン電子株式会社の代表取締役社長・吉田喜春氏が登壇。サン電子が『スペースインベーダー』発売前からの老舗であることに触れ、業務用ゲームを買ってもらっていた関係上、セガとの付き合いは30年以上に及ぶと話しました。
そんなサン電子が今回、「長く眠っていた『シェンムー』というタイトルを、もう一度世に問いたい」とセガに訴えたところ、『シェンムー』の生みの親で現在は株式会社YS NETを率いる鈴木裕氏に総指揮をとってもらえることになったといいます。
サン電子はファミリーコンピュータ用ソフト『アフターバーナー』や『ファンタジーゾーン』を発売したことで知られます。これらはセガの業務用ゲームで、当時『セガマークIII』等、独自の家庭用ゲーム機のプラットフォームを持っていたセガが、いわばライバルであるファミコンソフトへのタイトル供給を行うのは、珍しいことでした。
吉田氏は当時を振り返り、「子供たちにおもしろいゲームを遊んでもらいたいと、ユーザー視点で訴えた」結果であるといい、「セガさんや任天堂さんには無理を承知でお願いした」と語りました。
そのときのタイトルのひとつ『アフターバーナー』もまた、『シェンムー街』の鈴木裕氏の手によるものだったといいますから、いかに両者の付き合いが長いかがうかがえます。
吉田氏は「ソーシャルゲーム『シェンムー街』をリリースできて興奮しています。本当に素晴らしいゲームとはこうものだと世に広め、全力を挙げて展開していきます」と、熱く語りました。
![]() |
セガモバイルニューメディア事業部・宮崎浩幸氏 |
続いて株式会社セガのモバイルニューメディア事業部長・宮崎浩幸氏が登壇し、「『シェンムー』が発売された1999年は、2000年問題が話題になっており、秋元康も『AKB48』でなく『チェキッ娘』をプロデュースしていた」と話し、『シェンムー』がいかに先鋭的な作品であったかを語りました。
『シェンムー』の開発は社内でも極秘裏に進められ、噂になったといいます。
「『裕さんが作るんだからシミュレータだろう』とか『いや、どうもRPGらしい』と、いろんな推測がなされました」と宮崎氏。できあがった『シェンムー』は「広大な街にいろんなキャラクターがいて、シナリオを追いかけるのも、ブラブラするのも自由。既存の言葉では定義できなかった」といいます。
そこで鈴木氏がこのジャンルを「FREE」と命名。これは「フル・リアクティブ・アイ・エンターテイメント」の略だといいます。
宮崎氏は「作った鈴木さんも、これを認めた当時のセガも偉い」といい、「個人の意見」として「日本のゲーム業界が真に誇るべきは、宮本茂さんと鈴木裕さんとを生んだこと」だと語りました。
そして、「その鈴木さんが自分の会社を作り、『熱意』で動く。その現場に参加できてうれしい」と話し、「背中を押してくれとは言わない。ぜひ、私達についてきてほしい」とユーザーに訴えました。
![]() |
ディー・エヌ・エー取締役ソーシャルメディア事業本部長兼COO・守安功氏 |
そして「モバゲー」を展開する株式会社ディー・エヌ・エーから、ソーシャルメディア事業本部長兼COOの守安功氏が登壇。同社は2006年から始動したものの、当初はカジュアル・ゲームが中心だったといい、「ゲームとコミュニケーションとが分かれていた」と話しました。
そこで昨年10月から「コミュニケーションしながらゲームをできる」ソーシャル・ゲームに進出。今年1月からはプラットフォームを他社にも開放し、現在では500タイトルを越えるソーシャル・ゲームを展開していると述べました。
「『シェンムー街』の発表後に反応を見ると、いろんな人が期待してくれていることがわかります」と守安氏。『シェンムー街』の取り組みについて、楽しみにいることが2つあるといいます。
「ひとつは新しいゲームジャンルでユーザーを感動させてくれること。もうひとつは、コアゲーマーがソーシャル・ゲームに触れるきっかけを作ってくれることです」
![]() |
左から守安氏、吉田氏、鈴木裕氏、宮崎氏 |
こうして関係各社からの期待を一身に背負った鈴木裕氏が、いよいよ登場します。
後半のレポートはこちらからどうぞ。