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こんにちは、インサイドちゃんだほ! もはや「インサイドちゃんのゲーマー人生相談(略してイン談)」も定番連載としての風格を感じるほどになってきたほ……。というわけで、スニッカーズをドクターペッパーで流し込みながら第3回をやっていくほ。
そうそう、前回のこの世から酸素をなくしたいゲームコレクターの記事もなかなか人気みたいで嬉しい限りだほ。そのおかげか「相談したい!」という声が一気に増えたのだけれども、もう少しだけ待って欲しいほ! 今、編集部がメールフォームとかで相談を送れるように準備してくれているらしいほ。
ちなみに、今は知り合いのライターさんが足を使って個人的に相談を集めてくれてるほ。第2回みたいなぶっ飛んだ相談ではなく、もう少し答えやすいほうが助かるのだけれども……。そんなことを言っていたら、“勝負に対してはガチで挑むゲーマー”からまじめな相談内容がやってきたほ。
僕は対戦型のゲームに本気になりすぎてしまうことに悩んでます。
例えば友達とボードゲームや対戦ゲームをしてる時に、自分が負けたりするととても悔しいです。何回も負けたりすると心の底から憎くなり、態度にも出してしまい、その後どうしてあそこまで本気になってしまったのかと自己嫌悪に陥ったりします。
2分ぐらいで終わるような短時間のゲーム(『スマブラ』)だったり、6人で対戦するようなそもそもどんなに上手くても勝つ可能性がそんなに高くないゲーム(ボードゲーム『カタン』の拡張Ver.)でさえ「こんなモンさ」と割り切れずに悔しさが心に残ったりします。こんな自分をどうすればいいのでしょうか。
例えば友達とボードゲームや対戦ゲームをしてる時に、自分が負けたりするととても悔しいです。何回も負けたりすると心の底から憎くなり、態度にも出してしまい、その後どうしてあそこまで本気になってしまったのかと自己嫌悪に陥ったりします。
2分ぐらいで終わるような短時間のゲーム(『スマブラ』)だったり、6人で対戦するようなそもそもどんなに上手くても勝つ可能性がそんなに高くないゲーム(ボードゲーム『カタン』の拡張Ver.)でさえ「こんなモンさ」と割り切れずに悔しさが心に残ったりします。こんな自分をどうすればいいのでしょうか。
「がれな」さん(年齢・職業不詳)
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ただ、どんな時でも勝とうとする心意気はとても大事だほ。対戦ゲームは“すべてのプレイヤーが勝利を目指す”ということを前提に作られているわけで、逆に言うと誰かひとりでも勝ちを目指さなくなった瞬間にルールが崩壊してしまう。『スプラトゥーン』でチャポチャポしてる人がひとりいるだけでバトルがつまらなくなるような、めんどくさい言葉で言うと「スポイル・スポート」とかいうやつになってしまうわけだほ。
とはいえ、がれなさんが相談しているように“勝敗はさておきみんなでダラダラ楽しもう”なんて状況で勝ちに固執しすぎると、それはそれで雰囲気を壊してしまうわけで……。対戦ゲームを長くプレイし続けるとなると、このあたりで悩むことになるのは間違いないと思うほ。
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「結論から言うと、なぜその対戦ゲームで戦うのか、そして目指すべき結果はなんなのかを意識すべきということになるほ。
たとえば幼い子と一緒に何かパーティーゲームを遊んでいるとする。この時、相手をしている自分の目的はいったいなんになるほ? それは間を持たすだとか、その子を楽しませてあげるということ。つまり、ゲーム内の勝負で自分がわざと負けたのだとしても、その子が喜んでいるのであれば本当の目的を達成できているわけで、決して屈辱的な敗北の味を舐めさせられているわけではないほ。
勝ちとか負けは結果に過ぎないほ。誰かと一緒に楽しい時間を過ごすのが最も大事なのか、あるいはより腕を磨くために練習をしているのか。それを達成できているかどうかが大事なのであって、勝てたとしても楽しい時間にならなければ問題だし、もしくは簡単に勝つ方法でプレイしてしまって対戦ゲームのトレーニングにならなければ、練習としての価値は下がってしまうほ。
それこそ「負けるが勝ち」という言葉があるように、長期的に見て自分の利益となると考えれば一時的な負けくらいなんとか飲み込めるようになるはず。負けることを恥と思うのではなくて、意味もなく負けたことを恥じるべきだほ。
あと、仲のいい友達や大事な人と一緒に対戦ゲームを遊ぶ時は、その相手を大事に思っていることを思い出して欲しいほ。勝者の影には敗者がいるように、敗者は勝者に喜びを与えている存在とも言えるほ。親しい相手ならば、喜びをあげる立場になってもいいと思えるかもしれないほ。」
たとえば幼い子と一緒に何かパーティーゲームを遊んでいるとする。この時、相手をしている自分の目的はいったいなんになるほ? それは間を持たすだとか、その子を楽しませてあげるということ。つまり、ゲーム内の勝負で自分がわざと負けたのだとしても、その子が喜んでいるのであれば本当の目的を達成できているわけで、決して屈辱的な敗北の味を舐めさせられているわけではないほ。
勝ちとか負けは結果に過ぎないほ。誰かと一緒に楽しい時間を過ごすのが最も大事なのか、あるいはより腕を磨くために練習をしているのか。それを達成できているかどうかが大事なのであって、勝てたとしても楽しい時間にならなければ問題だし、もしくは簡単に勝つ方法でプレイしてしまって対戦ゲームのトレーニングにならなければ、練習としての価値は下がってしまうほ。
それこそ「負けるが勝ち」という言葉があるように、長期的に見て自分の利益となると考えれば一時的な負けくらいなんとか飲み込めるようになるはず。負けることを恥と思うのではなくて、意味もなく負けたことを恥じるべきだほ。
あと、仲のいい友達や大事な人と一緒に対戦ゲームを遊ぶ時は、その相手を大事に思っていることを思い出して欲しいほ。勝者の影には敗者がいるように、敗者は勝者に喜びを与えている存在とも言えるほ。親しい相手ならば、喜びをあげる立場になってもいいと思えるかもしれないほ。」
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今回はここでおしまいほ。ボクも対戦ゲームはけっこう好きだから気持ちはよくわかるし、時には「○ァック!」とついつい叫んでしまいそうになる時もあるわけだほ。とはいえ、暴言を吐いて友達を失ってしまうのは悲しいものだし、負けて内心は悔しがっていてもクールに事実を認めたいところだほ。
ただ、“制限時間いっぱいになると引き分けになるから不利になったらガン逃げするのが正解なTPS”とか、“マップの隙間から誰も手を出せないバグ地形に逃げ込めてしまう対戦シューター”とか、“防御を崩す手段がないから一撃当てたらあとはガン守りすれば勝ち確みたいなインディー格ゲー”をやっている時はさすがのボクもキレたほ。なので、ゲームの出来も大事な要素になるかもしれないほ。
第3回をむかえた「インサイドちゃんのゲーマー人生相談」。読者の皆様からのお悩み相談もどしどし募集中! インサイドちゃんに日頃の悩みを相談したいゲーマーは、本記事のコメント欄に投稿するか、お問い合わせフォームから件名「人生相談」と記載して送信してください。
■インサイドちゃん プロフィール
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たまにインサイド編集部で仕事を手伝う謎の女の子。最近楽しみにしている対戦ゲームは『スプラトゥーン2』。皆こぞってスプラマニューバを使うであろうことを予測し、ローラーで返り討ちにしてやろうと企んでいる。また、数日前に『スプラトゥーン』でダウニーがスーパージャンプ時間短縮の全揃いギアを持ってきたことがショックでポイフルをどか食いしていた。