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「ゲーム&ウオッチ」や他社のゲーム機などの影響もありましたが、国内のコンピュータゲーム市場を一気に盛り上げた立役者といえば、任天堂の「ファミリーコンピュータ」に他なりません。
「ファミコン」という通称で親しまれた本機は、1983年7月15日に発売されました。早いもので、この2024年7月15日に41周年を迎えます。その大半の時間は後発のゲーム機たちに彩られていますが、ファミコンソフトも1994年まで出続けており、約10年にわたって現役を務めました。
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『スーパーマリオブラザーズ』『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』など、ファミコンを代表する名作は数知れず。しかも、ファミコンソフトとして始まった数々のゲームが、この令和でもシリーズ展開を続けており、今も変わらぬ輝きを放っています。
輝かしい歴史を持つファミコンゲームは、しかし最初から豊かなラインナップだったわけではありません。発売直後の1983年7月15日から、ちょうど40年前にあたる1984年7月15日まで、先ほど述べた『スーパーマリオ』や『ドラクエ』、『FF』はいずれもまだ発売前です。
こうした名作がまだ登場していなかったファミコン1周年までの間、当時のファミコンキッズたちはどんなゲームで遊んでいたのでしょうか。
■ファミコンと同時発売のローンチは、わずか3本!
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ゲームソフトの入れ替えができるゲーム機は、別売りのゲームソフトがなければ遊べません。一部例外のケースもありますが、ファミコンの場合も例に漏れることなく、ゲームを遊ぶにはカセットの存在が不可欠でした。
ゲーム機と同日発売されるソフトは、一般的にローンチソフトと呼ばれます。ゲーム機自体の魅力も不可欠ですが、遊びたいと思わせるローンチソフトの有無で、ゲーム機の売れ行きは大きく異なります。
例えば、今も活躍を続けるニンテンドースイッチの場合、Joy-Conの魅力を引き出す『1-2-Switch』、RPG黄金期を思わせる『いけにえと雪のセツナ』、みんなでワイワイ遊べる『スーパーボンバーマン R』など、任天堂や他社による様々なタイトルが発売日に並びました。
その中でも特に注目を集めたのは、広大な世界と未知の冒険を詰め込んだ『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』です。発売当初から話題となった本作は、スイッチの売り上げを力強く後押しし、その成功に大きく貢献したと言われています。
では、ファミコンが発売された1983年7月15日に、どんなファミコンソフトが登場したのかといえば、『ドンキーコング』『ドンキーコングJR.』『ポパイ』というラインナップでした。いずれも任天堂が発売したもので、ファミコンは、この3本のみのラインアップで始まりました。
スイッチの場合、DLソフトも入れれば10本を優に超えるラインナップと共にスタートしています。もちろん、時代が違うというのも理由のひとつですが、3本でスタートしたファミコンのラインアップはかなり寂しく見えることでしょう。
■ファミコンで、憧れのゲームが遊び放題!
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ローンチが少ない理由のひとつは、この時点で任天堂以外がファミコン向けにゲームをリリースしていないためです。
今となっては新しいゲーム機と同時に他社のソフトが発売されるのはごく当たり前ですが、当時はまだファミコンがどれほど売れるのか全くの未知数。まず任天堂自身が、ファミコンの魅力を証明する必要がありました。
任天堂自身がソフトも全てまかなう関係から、ローンチのラインナップは3本だけとなり、以降も約1年にわたってファミコンソフトの提供は任天堂のみでした。
しかし、『ドンキーコング』『ドンキーコングJR.』『ポパイ』が魅力的でなかったといえば、それは嘘になります。当時は、デパートのおもちゃコーナーやおもちゃ屋などでファミコンの展示があり、実際にプレイ可能なところも多数ありました。そうした場所では、子供たちが集まってファミコンに興じ、時には順番待ちの列が生まれるほどでした。
あの頃の家庭用ゲーム機は性能が低く、ブロックのようなドット絵のゲームもごく普通にありました。一方ファミコンは、カラフルで見栄えもよく、しかもそれまでゲームセンターでしか遊べなかった『ドンキーコング』などの3本が遊び放題となれば、飛びつきたくなるのも必定でしょう。
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子供が容易に買える金額ではないため、その分デパートなどの展示に集まる人数が、ファミコンに向けられた潜在的な関心と人気を表していたとも言えます。
また、アーケードゲームのファミコン移植は長きにわたって行われ、ユーザーの関心を大きく惹きました。もちろん、移植の度合いによって好評・不評に分かれましたが、「アーケードゲームが、家でいつでも遊べる」というファミコンの特徴は、抗いがたい魅力のひとつとして当時の子供たちを虜にします。