■ かつてアトラスの会社員としてUIデザイナーを経験した過去。独立までの経緯やその後の軌跡を辿る
――LAMさんは多摩美術大学を卒業後、アトラスに入社してUIデザイナーとしてご活躍されていた時期もありましたが、現在のように「絵」で食べていくといったビジョンは、いつ頃から生まれたものなのでしょうか?
LAM:中学生の頃は「漫画家になるぞ」と思っていて、友達と漫画の模写をずっとやっていたんです。絵を学ぼうと思って多摩美に入ったんですけど、丁度受験期に佐藤可士和さんとか、佐野研二郎さんにかぶれて「グラフィックデザイナーってかっこいいな」と思って。僕は単純なので、グラフィックデザイン学科に入りました。
グラフィックの勉強は楽しいし、グラフィックデザインも大好きなんです。ただ、やっぱり僕はイラスト等のアニメサブカルチャーの文脈のものが好きなんだと2、3年生くらいで気づいて「やっぱり絵の道に行こう。そもそも漫画家になりたかったんだ」と改めて絵を描き始めました。でも当時は本当に絵が下手で……。
その頃は"漫画を描く"ということにハードルを凄く感じていたので、イラストをずっと趣味で描いていました。好きなイラストレーターさんもたくさんいて、ふと「イラストレーターってどうやってなるんだろう?」と思って好きな人たちの経歴を検索したら、“ゲーム会社に入社後退職。その後フリーランスに”と書いてある方が多くて。じゃあ僕もゲーム会社に入ろうと思ったんです(笑)。
アトラスを受けたのは『ペルソナ』がきっかけで、入社後は「UIデザイナー」として働いていました。グラフィックデザインの部分でお手伝いをしていた感じです。ただ、入社直後の僕は「ゲーム会社に入ったから後は会社を辞めればイラストレーターになれるぞ」と思っていた訳です。実際はそうじゃないとすぐ気が付きましたが(笑)。
LAM:会社員をしながらコミティアとかコミケみたいな同人イベントの活動をしたり、pixivやSNSに投稿したりしていくうちに、徐々に知り合いにプロの独立されているイラストレーターさんたちが増えてきました。そういう方たちって週七日間、毎日自分の絵のことを考えて自分の絵を描いている訳じゃないですか。その環境に凄い憧れたんですよね。
自分は会社員だったので、就業時間と創作活動の時間をやりくりする必要があって、生半可な覚悟だと絶対に追いつけないなと思ったんです。ただ、会社を辞めて独立するには実力があったりとか、ある程度先立つものが必要だと感じていたので、本格的にイラストレーターになるぞと決めたのが就職して3、4年目くらいからでした。
「イラストレーターさんたちが週七日間、毎日ずっと絵を描いているなら、自分は平日の夜と土日の二日間を死ぬ気で回そう。その人たちより1枚でも多く、1秒でも長く絵のことを考えよう」と思って、1年半くらい一生懸命、精力的に活動を続けていました。そうしたらVRゲーム『東京クロノス』のメインキャラクターデザインのお仕事依頼が来たんです。副業ができなかったので、思い切って会社員を辞めました。

――『東京クロノス』がきっかけで
LAM:そうです。「辞めるぞ!!」と思いました。
――それを決断するのは大変ではありませんでしたか?
LAM:そうですね。いつ独立したら良いのかなんて分からないじゃないですか。正解がある訳でもないですし。でも二択だったんですよ。会社に残って引き続き二足の草鞋で頑張るか、『東京クロノス』の仕事を引き受けるか。前者は『東京クロノス』の絵を描いちゃダメになる訳で、それが嫌だったんです。じゃあもう辞めるしかない......辞めるか、みたいな。
やりたかったんです。ゲームのキャラクターデザインをするのが夢だったので。それで辞めることになりました。「なんとかなるっしょ」と思って。ダメだったら幸いにもUIデザイナーをやっていたのでどこかに就職できるだろう、と思っていました。上手くいかなくても食いっぱぐれないだろうと、何となくの楽観的な考えがあったんだと思います。
――最初はアトラスも志望していた企業だったと思うのですが、同社が出す憧れの『ペルソナ』シリーズに関われるみたいなところで、独立する際に迷うことはありませんでしたか?
LAM:迷いませんでした。『ペルソナ』シリーズのUIデザインが大好きで、関わらせていただけてとても光栄でしたが、僕自身はいちアシスタントスタッフみたいなもので。
アートディレクションをされていた天才的なUIデザイナーの方がいて、その方の手足の一つといった感じで、量産を手伝ったりその人の補助をしたりするような感覚で『ペルソナ5』のUIデザインをしていたんです。
「LAMさんがデザインしたんですか?」と聞かれることがありますが、畏れ多いです。その素晴らしい方や凄い先輩たちのお手伝いをさせていただきながら必死に食らいついていく1、2年間でした。『ペルソナ』が無事に完成した後は『ペルソナ』チームから元々いた部署に戻ってきて、また別のチームに異動して働くような感じでしたし、『東京クロノス』の依頼が来たのは丁度、『ペルソナ』シリーズからも離れた時期だったので、そこまで迷うこともありませんでした。
アトラスには僕の憧れのイラストレーターである副島成記さんだったり、イラストチームの皆さんがいらっしゃるんですが、皆さん信じられないくらい絵が上手くて、当時毎日絵を見させていただいていても、絵を練習していても、自分がこの場所でイラストを描くというビジョンが一切浮かびませんでした。本当に尊敬しています。
アトラスに居れば、副島さんのお側で絵を学べる可能性があるかもしれないですが、自分の「独立してみたいな」という気持ちとか、今の自流の中でイラストレーターをやっていきたいと思ったときに、性に合っているのは“外に出ること”かなと観念しました。名残り惜しくはありましたが......。
――実際、『東京クロノス』でキャラクターデザインを担当してみてどうでしたか?
LAM:楽しかったですね!『東京クロノス』を開発したMyDearestという会社は、当時、VRの新進気鋭のベンチャー企業でして、“サークルでゲームを作っている”みたいな感覚に近かったんです。だから同人活動の延長みたいな気持ちで作っていたんですよ。それが良くて。
そのお陰で熱量が篭った作品になって、本当にありがたいことに高い評価をいただけるVRゲームになりました。当時はやっぱり「僕がメインキャラデザのゲームが出るぞ......!」っていう喜びが大きくて、大変でしたが辛さはなかったです。テンションが上がりっぱなしでした。トレーラーや告知が出るたびにはしゃいでたのを覚えてます。新鮮で楽しかった思い出ばかりですね。
――独立する前と独立した後で、ライフスタイルにどんな変化が生まれましたか?また、現在はどんなライフスタイルでお仕事に臨んでいるのでしょうか?
LAM:ライフスタイルは夜起きて、昼寝るです。家からも出ない......ですね。もう、本当に出ないです。引くくらいに出ない。
僕は人と話すのが好きで、チームで何かをするとか、集団で何かをするのが凄い好きなタイプなんです。独立したときに一番不安だったのがそこだったんですよね。やっぱり周りのイラストレーターさんの中にも、気を病まれている方が結構多くて、お話を伺うと「フリーランスはやっぱり精神に来る」みたいなお話をたくさん聞いていました。
会社でずっと誰かとコミュニケーションを取りながら仕事をしていた生活から、一転して自分のデスクの前にただ座って......黙々と絵を描くという行為に僕は耐えられるのか?っていう不安があったんです。学生時代からずっと友達や後輩が毎日のように家に遊びに来ていたので、“誰かがいる中で生活をする”というのが当たり前だったんですよ。独立した頃には後輩たちもみんな社会人になっていたので遊びに来ることも少なくなって、急に静かな環境でやっていけるのかなと。結果としては、全然大丈夫でした(笑)。
もちろん、Discordだったりだとか、友人と通話したりが多かったので、あまり孤独感とかはないんですが。「外に出なくでも全然平気だな」と思いながらひたすら5年間働いていたら、完全に家から出ない人間になりましたね。
なので現在のライフスタイルも同じ感じですが、少なくとも「健康的には生きなきゃな」ってダイエットしたりとか、朝起きるようにしたりとか。あとは独立した直後くらいから犬を飼い始めたので、“犬の散歩”とか犬に関係することで何とか生きながらえさせて貰っている感じですね。逆に自分から外へ出る機会はめっきり減っちゃっています。
締め切りに追われていて外に出ている暇がないというのが大きな要因でもあるんですが、そんな感じの生活をしてます(笑)。

――夜起きて昼に寝るという生活の中で、ずっと絵のことを考え続けていると思います。イラストレーターさんにお聞きするのも変だとは思いますが、それは気が滅入ることはないんでしょうか?
LAM:僕、ないんですよね。10代の頃からスポーツをずっとやっていて、練習で限界まで追い込んで倒れるとかもちょくちょくあって。イラストを描いている中できついことがあっても「絵を描くのは楽しい!」で解決しちゃってます。
ずっと楽しいですよ!画集の作業も全部楽しかったし。締め切りに追われて徹夜や短時間睡眠が続くとさすがに「もう勘弁してー!」とはなりますけど、全部自分のせいなので(笑)。
――やっぱり“楽しい”というところが大きい?
LAM:そうですね!やっぱり楽しいし、嬉しいんです。個展もやりたかったし、画集も出したかったものなので、「どんな絵が良いですかね?」だなんて大場さんに相談するのも全部楽しかったですね。
――関わったプロジェクトがターニングポイントとなって、作風が大きく変化していくクリエイターもいますが、LAMさんにとって独立後に大きなターニングポイントとなったプロジェクトはありますか?
LAM:まずはHALのCMですね。僕は元々、専門学校HALさんのCMシリーズが好きで、「いつかやりたい」ってずっと思っていたんです。イラストレーターのPALOWさんと、アーティストのDAOKOさんがやっていたCM『嫌い、でも、好き』というのがあって、それが凄い好きでした。
「いつか僕もHALのCMをやってみたい!」と思っていたら、2019年度のCMをやらせていただけることになって、物凄く嬉しかったですし、知名度もガンッと上がりました。地上波のテレビで通年通して流れたCMの影響力はやっぱり凄まじくて「HALの人ですね!」とか、親からも「HALのCMスゴイね!」って。僕自身を押し上げてくれる案件になったなと思います。
タイアップ曲を担当していたEVEさんとも制作がきっかけで仲良くなれましたし、ターニングポイントだなって明確に思える作品ですね。
LAM:もう一つ、『takt op.』もターニングポイントの一つです。アニメの制作現場に関わるのが目標だったので、キャラクター原案として参加させていただけて本当に嬉しかったです。しかもMAPPAさんとマッドハウスさんの共作という豪華すぎる制作陣で、自分のデザインしたキャラクターが動いたときは夢を見ているようでした。
ゲームはソーシャルゲームで、本当に大きな規模感のものだったので、制作期間も5年とかなり長かったです。今回の個展ではそのときに描かせていただいた設定画だったり、未公開のキャラクターも展示させていただけることになっています。
5年間一つの作品を作り続けたのは初めてでしたし、駅の広告に自分の絵がズラーっと並んでいる光景は感動しましたね。一方で大きな作品の看板を背負う重圧も貴重な経験でした。たくさんの人たちが作る“大きな渦”の一部になれたことは、自分の作家人生としても大きかったなと思います。