遠藤: そういった研究は、いっぱいありますよ。他にも文化史的にシューティングゲームの変化などを一生懸命まとめている人とか。まとめて何の意味があるのかと思われがちなんだけど、それをまとめて、ドキュメント化して、引用可能にして、積み重ねていくことに、学会としての価値があるわけで。
斎藤: 産業側としては、どうしても「今」と「未来」が重要なんですよ。「過去」のことは顧みている余裕がなかったりします。
遠藤: 逆に今の若い子達は昔のシューティングのことを知らなかったりするので、そこに資料的価値を提供するのがDiGRA JAPANの役目。CEDECはそうした資料をもとに、最新の技術をかけあわせて、未来のシューティングの姿や可能性を指し示してくれるようなところに、価値があるんだろうね。
―――先ほどDiGRA JAPANから「積み重ねる」という言葉が出ました。この「積み重ね」に相当するものは、CEDECではありますか?
斎藤: CEDECにはCEDiLというアーカイブ機能があります。これは毎年の講演資料と、講演ビデオのうち許可がとれたものを蓄積して、無料で公開しているサービスです。
遠藤: CEDiLで惜しむらくは、表に出しちゃいけない講演が多くて、全部ビデオなどで残せないんだよね。このあたりがCEDECのアキレス腱だし、学術研究とまったく違うところ。たとえば夏期研究発表大会では、講演内容が全てUstreamに録画されているし、予稿集もウェブ上にアップされているので、誰でも無料で参照できるんですよ。研究者にとっては、そうじゃないと自分の研究が引用されないので、困るんです。
斎藤: 確かにそうですね。CEDECでは皆さん最先端の技術発表をされるんですが、それがあまり記録に残りすぎると、みんな話す内容がどんどん丸められてしまって、おもしろくなくなっちゃうんですよ。そのバランスにはいつも苦心します。
―――「積み重ね」という点では、IGDA日本でもセミナーの資料などをSlideshareなどを利用して公開されていますよね。またトップページからたどれる各専門部会のブログの情報発信も盛んです。
小野: 確かにそうなんですが、それに加えて人と人とのつながりといった、目に見えない部分の「積み重ね」も大きいんじゃないかなあ。IGDA日本は「情報の共有」と共に「コミュニティの育成」を、より明確に目的として掲げているので。
斎藤: IGDA日本では各分野毎にセミナーを何度も開催しているので、人と人との結び付きがより密接じゃないですか。だからCEDECとはまた違った意味で、ノウハウの共有がなされている印象がありますね。
遠藤: あとはIGDA日本で特徴的なのが、学生に対する支援がしっかりしているところじゃないかなあ。
小野: ありがとうございます。去年からCEDECスカラーシップを開催しまして、今年はおかげさまで企業から協賛を受けて内容も充実して、TGSとCEDECの両方で開催できるようになりました。これも、もともとIGDA本体がGDCとE3向けに開催していたものを受けて、日本でも始めたものです。
■それぞれが感じる「作られたイメージ」に対する課題
―――CEDECはプロ向け、DiGRA JAPANは研究者向けですが、IGDA日本はプロと学生が一緒になっている感じですか?
小野: そこは日本と海外でも違うところで、海外、特にアメリカではイベントやセミナーを開催すると、学生の参加率が高すぎて、プロがはじき出されちゃうところがあるんですよ。アメリカでは日本のように新卒一括採用という習慣がないので、学生が就職活動の一環、すなわち「コネ作り」のために参加してくるんです。アメリカで学生むけ業界フェアなどを開催すると、基調講演で「コネ作り」の重要さが語られるほどですから。
これが日本では学生が萎縮してしまって、ほとんど参加しないんですね。そのため、学生が参加しやすい環境を作ることに苦心しています。今年の春には学生主体のGDC報告会も開催しました。
遠藤: それはCEDECでもDiGRA JAPANでも、できないなあ。就職しようとする大学生は「プロ」でも「研究者」でもないんだから。
斎藤: でもDiGRA JAPANでは学生の発表もあるんじゃないですか?
遠藤: それはあるんだけど、学会で研究者と呼べるのは大学院生から。学部生の発表は論文としての価値が低いんだよね。
小野: DiGRA JAPANでうらやましいのは学会なので、デフォルトで学生が参加することですね。先ほども言ったように、IGDA日本はデフォルトで学生が来ませんから。それから産学の幅広い分野で、発表や講演ができる受け皿になれるところです。昨年、立体視に関する「3DC安全ガイドラインに基づく、快適な立体視ゲームの作り方」というセミナーをお手伝いした時に、改めて感じました。 これはIGDA日本がめざすところでもありますが、まだまだ途上です。
このセミナーでは国立情報学研究所の後藤田先生と、バンダイナムコスタジオの石井源久さんに参加いただき、3DC安全ガイドラインという業界団体が策定したガイドラインをベースとした議論を行いました。こんなふうに講演者、参加者ともに、一番多様性が高いのがDiGRA JAPANではないでしょうか。
―――自分の団体が、本当は敷居はないのに、勝手に敷居を作られている、などと感じられることはありますか?
小野: IGDA日本でいえば、先ほども説明したように、なぜか「プロのゲーム開発者だけの団体」と見られているところがありますね。
遠藤: 議論が「参加する側の敷居」になっちゃうけど、学生や若い研究者って、自分の師事する先生が主に活動されている学会を中心に物事を考えちゃうよね。逆に自分の研究がその学会で適していないとなると、それだけで勝手に敷居を作っちゃって、もう価値がないと思い込んじゃいがち。でも、他の学会では採択されなくても、DiGRA JAPANならすごく価値がある、といった研究はたくさんあるんですよ。特に社会科学系のゲーム研究は、ほぼそうです。そんなときにDiGRA JAPANは関係ないなんて思わずに、論文を投稿してきてほしいなあ。
小野: 同じようなことはCEDECでもいえそうですね。CEDECでは残念ながら公募をパスしなかったけど、DiGRA JAPANやIGDA日本では大歓迎といった内容のものも、数多くあります。
斎藤: ああ、それはありますね。そんな風に連携していけると良いですね。
―――CEDECで何か同じような「敷居」を感じることはありますか?
斎藤: ちょっと話がずれるかもしれませんが、CEDECは企業の看板を背負ってやっているカンファレンスとさっき説明しましたよね。それはそうなんだけど、会社に所属しつつも、個人として発表して欲しい、という気持ちが強くあります。
遠藤: それは大きいね。
斎藤: 会社と個人の関係は、僕の中では対等だと思っているんですよ。会社からみれば必要とされる個人であるべきだし、個人はそのためにスキルを常に持ち続けなくてはいけない。だからCEDECでも、会社員のAさんが発表するのではなくて、たまたま今、この会社に帰属しているAさんが発表するという意識をもって欲しいんです。
小野: 講演者には、よりプロ意識を持って欲しいということですね。
斎藤: またCEDECはプログラマー向けのカンファレンスというイメージがついていて、それが参加する上で敷居になっているところがありますね。実際はプログラム以外のセッションの方が、ずっと多いんですよ。ところが来場者の属性でいうと、プログラマーが一番多いんです。もっとゲームデザイナーやマネージャの方にも参加して欲しいんですね。そのあたりも外部から勝手に作られているイメージや敷居だったりするのかなと。
小野: 最近のCEDECの特徴として、基調講演や主要セッションでアニメや映像業界の方が登壇されるので、ゲーム業界以外のプレスが増えましたね。それによってCEDECがゲーム業界の外に認知され始めているところがあります。 映像業界にはCEDECのような作り手の情報共有の場はないですし、講演会などがあっても、ほとんど学生向けの内容なので、CEDECが非常に貴重な機会になっているんでしょうね。
斎藤: ああ、それは嬉しいですね。
小野: でも、参加者はゲーム関係者なんですよね。それはちょっと寂しいですね。
遠藤: 実際、アニメ業界の方はニュースサイトなどでCEDECの記事をすごく見ているよ。ただ、それでアニメ業界の方に来場してもらえるか、というのは別の話なんだけど。やるんだったら、「アニメデイ」とかいって、1トラック全部アニメ関係のセッションを集中させるくらいにしないとね。そうしたら参加しやすくなる。
■ゲームの周辺領域とのかかわりについて