『P.T.』はプレイアブルティザーの略で、内容の体験のために作られたものの最後まで辿りつけない人が続出しており、インサイドの編集者も6時間ほど挑戦した末に断念しています。そして、小島監督がツイッターでその難しさの意図を語っています。
リハーサルでは言ったのに本番で言うのを忘れたが「PT」はインディーズ色を出す為に、グラフィックもサウンドの操作感もエフェクトもかなり意図的に手を抜いている。本当はもっと創りこみたかった。フレームレートも30fpsにしているw pic.twitter.com/MVLJ1cuhCv
小島秀夫 (@Kojima_Hideo) 2014, 8月 13
小島監督は、『P.T.』で“インディーズ色”を出すためにあえて手を抜いていると語っています。こう言われるとあまり嬉しくは思えませんが、やはりそこには意味があります。
インディーズ風にみせる為に少し手を抜いているという表現が誤解を招くかもしれないので補足。プレイヤーへの配慮度合いを抑えているという方が的確かも。例えば2ループ目で奥の扉が閉まり、逆戻りすると扉が開くが、それをプレイヤーに伝える合図(音)をわざと鳴らしていない。荒削りにしたかった。
小島秀夫 (@Kojima_Hideo) 2014, 8月 14
というのも、手を抜くと言ってもプレイヤーへの配慮を抑えるという意味なのです。『P.T.』のプレイアブルティザーは先への進み方がわかりにくいとの声があがっているわけですが、それこそ小島監督の演出したかったものなのでしょう。
開かなかった扉が少し開くところも、普通ならプレイヤーが覗き込む位置によって、一番怖い視線位置に例の人を数種類のアニメーションで登場させるのが効果的だが、今回は何処を覗いていてもあえて同じ反応にしている。ゲームのプロが製作したと思われると怖さが半減するので抑えた創り。「PT」
小島秀夫 (@Kojima_Hideo) 2014, 8月 14
昨今はビデオゲームがとても親切になっています。次にどこへ行くのかがわかりやすかったり、何をどうすれば敵が倒せるだとか、とにかく情報が多いわけです。しかしながら、小島監督はそういうプロらしさが残っていると、怖さが減ってしまうということに注目しています。
長年ゲーム創りをしていると、グラフィックやサウンドの入れ方、操作感、ゲームデザインだけではなく、プレイヤーに対する配慮に、ある種の特徴が出る。ゲームはサービス業なのでそのおもてなしに癖が出ることになる。それはデザイナーや製作スタジオの指紋でもある。それを消したかった。「PT」。
小島秀夫 (@Kojima_Hideo) 2014, 8月 14
よって、『P.T.』はあえてプレイヤーへの配慮(≒ デザイナーや製作スタジオの指紋)をなくすような作りにしたとのこと。そのため、なかなかクリアできないものの、きちんと恐怖を描けたプレイアブルティザーとなったわけですね。
怖がりだった子供の頃、既に映画ファンだった僕は辛うじて、知ってる俳優や監督が関係している大作映画は観ることができた。それが創りものだとわかっているから。しかし、深夜に放送される海外の無名のホラー映画は怖かった。事前情報が全くないからだ。「PT」は情報欠如から来る恐怖を狙っている。
小島秀夫 (@Kojima_Hideo) 2014, 8月 13
小島監督は“インディーズ色”という言葉を使いましたが、これは無名のホラー映画を想定していたようです。その無名のホラー映画による自身の体験を、今回のプレイアブルティザーに活かしたのでしょう。
また、小島監督はこれ以外にも「怖がりの方は友人達とワイワイと、もしくはツィッチでネットの仲間と協力して遊んでください」と発言しており、さまざまなプレイヤーに『P.T.』を楽しませる戦略を考えていることが垣間見えます。